本コラムでは、本法人の研究事業の一環として、研究メンバーがそれぞれ、一研究者として、自由なテーマを設定して記事を公表していきたいと思います。そこで、記念すべき第1号として、本法人設立にあたっての理念について論じたいと思います。
本法人は、2016年に小さな研究会からスタートしました。私を含めスタートメンバーは、経営学を専攻する研究者たちでした。設立当時、日本の経営学研究の環境は良好とは言いがたい状況にありました。経営学研究を志す者は、「学会では1度でも失敗したら道は絶たれると思いなさい」と教え込まれます。
この教え自体は、私の考え方の軸となり、1つのことを必死にやろうとするマインドは形成されたので、良い教えだと思っています。
ところが、いざ学会では、大学院生やポスドクの研究発表が先輩研究者による攻撃の的になる場面も幾度となく目にしてきました。
私自信も、EUのコーポレート・ガバナンスについて博士論文をまとめていたときに、母校にいたとある研究者から研究報告の際に「EUにはイギリスしか入ってないじゃないか!そんな連合の研究をしてどんな意味がある!」と言われたことがあります。その時、EUにイギリスは含まれていましたし、別にEU離脱の現実味も全く帯びていないころでしたので、単純にその先生の勘違いです。
しかし、師匠に「先生に嫌われたら終わり」と教え込まれていたことから反論できなかったのです。そんな勘違いの意見で、研究意義を否定されたら学生はたまったものではありません。教員となったいま、学生が真剣に取り組んでいる研究の意義を真っ向から否定するのではなく、良い報告へと導くような発言をするべきだと考えています。
私は、大学院生時代のはじめのころは、「そういう厳しい業界なんだ」と特にその状況を疑うことはしませんでした。ただ、失敗したと思っても「意外に終わりではないな」とは感じていました。初めてその厳しい状況に疑問を抱いたのは、国際学会に参加した時でした。
国際学会では、世界各国の研究者が集まり、多様な発表が展開されます。多様な考え方やアプローチで発表されるわけですから、必ずしも納得できる発表ばかりではないはずですが、日本の学会のような攻撃が見られることはありませんでした。
むしろ、コーヒーブレイクやパーティーの際には、学生も教員もかなり対等な関係で交流をしていました。そのときから、「日本の学会は体質が古いのかも知れない」と考えるようになりました。
その後、私は、経営学研究に主軸をおきながら、経営学以外の学会・研究会に参加し、経営学分野の学会が、一際厳しい批判が多いことを痛感しました。たとえば、同僚の先生のご好意で参加させていただいている東京商事法研究会では、研究会でありながら、経営学の小さい学会よりも多いくらいの人数が集まり、非常に熱のこもった議論が展開されます。私が感動したのは、どんなに白熱した議論であっても、報告者の研究をよりよくするための激論が交わされていることです。そして、研究会でブラッシュアップされた研究が、学会や雑誌などで公表されています。
それまで、経営学の所属学会で、学生や若手が否定だけされて終わっていく報告を数多く見てきた私には衝撃的な体験でした。このような前向きな議論が真に研究を前進させるものであるにもかかわらず、私の周辺の経営学分野にはそうした団体が多くくないのだと気づいたのです。
ミルグラムの権威への服従実験というとても有名な実験があります。この実験は、正しい権威からの命令であれば、その命令を受けたものは自らの倫理に反し、心底やりたくないと思っていることであっても、遂行してしまうということを明らかにしました。これは、閉鎖的な空間の中では、自らの主体的な意思ではなく、外的な要因に意思決定が左右されることを明らかにしました。つまり、私が言いたいのは、研究者を目指す者は、閉鎖的な環境のなかで、一定の理不尽な振る舞いに気付けない、もしくは気づいても声を上げられない状況が存在するということである。これは、私の見てきた経営学分野における研究者文化は明確に言えることであった。
もちろん、経営学分野にもそうした前向きな議論を基礎とした研究会もあるでしょう。また、私は全ての研究者がどのような境遇に置かれているのかを把握しているわけではありません。経営学の環境が著しく悪いというエビデンスがあるわけではありません。そして、経営学研究の関係者全体がひどい環境であると言っている訳でもありません。私も多くの素晴らしい先生方に支えられ、幸運にも研究を生業にすることをできました。それらの先生方に対する感謝の念は今も忘れたことはありません。先生方のアドバイスは今も胸のなかで私の行動の羅針盤となっています。
しかし、たしかに若手研究者や研究者のたまごとして、厳しい状況に置かれている者はいるのです。よい研究をしていても、潰されそうになっている者がいるのです。若手が命をかけている研究を潰そうとする研究者にも、潰されそうになっている研究者にも、他者への優しさを必要とする世界全体の持続可能性を突き詰めることなんてできるはずがありません。私は、若手の研究が潰されることなく披露され、フロアからその研究をよりよくするためのアイディアが友好的に交わされる、そういう研究機関に本法人が成長してほしいと願っています。そのためにも、多様な視点で研究がなされ、多くの学問を基礎とした研究がなされ、そして持続可能な社会の実現に向けて新しい議論を交わし、それを実践できる場を提供していきたいのです。