2022年ウクライナとロシア間の緊張は一気に加熱し、ロシア軍によるロシアへの侵攻が始まった。ロシアによるウクライナへの侵攻は、世界に動揺を与え、平和な社会秩序に暗い影を落とした。本稿を執筆している間も、ロシア軍がウクライナのサポリージャ原発に攻撃を開始したとの報道がなされている。また、ウクライナとロシアの間で公表内容が異なっており、ロシア情報統制が強化されているとの情報も入ってきている。
筆者は戦争は、お互いの正義の衝突と考えている。お互いの正義感にズレが存在していて、それを固く信じているもの同士の争いであれば、その戦争においてどちらが正しいと外部から評価することは大して役に立たない。そのため、筆者は、この戦争における正義を論理的に論じるつもりはない。また、ロシアによる侵攻の理由をあげてその正当性や不当性を主張することもしない。ただし、筆者は、如何なる場合であっても、暴力に訴えることはあってはならないと考えている。その理由も論理的に説明するつもりはない。定言的に、筆者は如何なる場合であっても暴力に訴えるべきではない、と考えている。そのことからも、このたびのロシアによるウクライナへの侵攻は、たとえその侵攻の理由が正当性を帯びている主張であったとしても、許されてはならない行為であるというのが筆者の立ち位置である。
さて、私のウクライナ侵攻に対する立ち位置を表明したところで、本論に移っていきたい。筆者は、長年EU研究に携わってきた。筆者のEU研究の目的は、日本に含むアジアの地域統合に、EUの統合の経験が役立つであろうと考えたからである。筆者の研究目的は、賛否両論で、日本を含むアジアで地域統合に歩を進めることはないだろうとの批判は多数頂いた。主な理由は、日本と近隣諸国に存在する政治的な溝を乗り越えることはできないだろうとのことであった。この意見に対して、筆者は一貫して、ヨーロッパも長年戦争を繰り返し、それぞれのアイデンティティが形成され、アジアと同様の溝が存在していたが、そうした溝を埋めつつ統合を実現したことを強調してきた。そして、経済的な理由から進めたヨーロッパの統合が、約70年もの平和を生み出したのだと強調してきた。それに加えて、日本が抱える北方領土や竹島などの領土問題は、ヨーロッパが70年も前に克服した時代遅れな問題であり、地域的な枠組みを形成して自由化していくことが必要であると主張してきた。
このたびのウクライナで勃発した戦争は、EU統合後に生み出された平和を揺るがした。報道では、NATOの拡大が与えるロシアへの脅威が、プーチン大統領(ロシア)を刺激したと考えられている。しかし、この戦争を受けてウクライナの近隣各国が見せた動きに注目したい。2022年3月3日にウクライナがEUへの加盟申請書を提出すると、3月2日には、1987年から加盟交渉を続けるも権威主義的な政治を理由に加盟交渉が停滞しているトルコは、EUに対してウクライナと同等の対応を求め、3月3日にはジョージアとモルドバがEUに加盟申請書を提出した。この緊急事態のなかで、EUの求心力が強まっていることは明らかである。
平和な70年を経て、イギリスの脱退を始めとする逆風に晒されたEUであったが、ここにきて、EUという確かな一体感を基盤とする協力関係が平和を守る維持装置として働いているのである。そしてその維持装置から距離を置き、中立的な立場にいた各国が、大国と連合の間で押しつぶされそうになっている事実も同時に露呈したのである。中立国であることは、他国からの侵攻に耐えうる強大な軍事力を持つからこそ可能なことである。それは、中立を保ってきたスイスが必然的に自衛できるだけの強大な軍備を必要としたことからも明らかである。世界の各国がそれだけの軍備を整えることはできるわけがない。そのため、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、EUが存在感を高めることになったのである。
ヨーロッパは、石炭と鉄鋼という燃料をめぐる領土争いを避けることを目的に始まった経済統合から実質的な統合に歩を進めてきた。そこには、歴史的敵対関係や価値観の相違、国益をめぐる衝突など多くの壁が存在した。それを乗り越えてきたのが、EUであり、ヨーロッパなのである。ヨーロッパ統合の歴史から遅れること70年、今一度アジアにおける地域統合を日本が中心的立場の1つとして進めていく必要があるのではないだろうか。